「ヤンチャだったから成功した」って本当?
──非行を持ち上げすぎる社会に違和感がある
どうも、名ブタです。
たまに見かける、「昔は非行に走ってたけど、今は社長です!」みたいな話。
うん、インパクトあるし、人間ドラマとしては面白い。
でも、僕はそこに違和感を感じてる。
というのも、
**「非行歴=創造性の証」「枠から外れた人ほど面白い」**みたいな空気が気に入らない。
なんか、稀な事例を一つ提示して、全体に適用できる理論みたいに言わんで欲しい。
「ヤンチャ=才能」なのか?
こういう話って、よくこういうロジックになる。
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常識を疑う=クリエイティブ
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枠をはみ出す=自由な発想
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学校に馴染めない=組織に縛られない
……ほんとに?
そういう側面も無いってわけじゃないと思うけど、
普通に「非非行群」の中にもそういう人いると思うよ?
はみ出し者の発想力はヤンキーの専売特許じゃないよ。目立たない内向的なやつだって、静かに想像力や思考の刃を磨いてるもんだよ。
そもそも、非行って別に「思考の自由」から来てるとは限らない。
環境・衝動・仲間関係、いろんな要因で起こる。
そこから「創造性」や「自立心」だけを取り出すのは、ちょっと飛躍してない?
データではどうなの?
アリネ(AIに僕がつけた名前)にちょっと聞いてみた。
―アリネ
うん、それ気になってたんだけど──
法務省の再犯防止白書とか見ても、「非行歴がある人のほうが創造的です」みたいな話って、実は全然書いてないのよ。たしかに、軽度非行群の中に“創造的な職業につく人がいる”っていう観察はあるんだけど、
それって「非行があったから創造的になれた」って証明にはならないの。
むしろ、社会にちゃんと馴染めなかった人が、自分の居場所として独立とか創作の道を選んだっていう、“結果”の話なんじゃないかな。
もし仮に「非行群の方が優秀」と主張したいなら、
“非非行群”と比較した客観的な能力差や、人生満足度、社会貢献度のデータが必要だ。
でも、今のところ、そこまでは示されていない。
つまり──良くて同等、むしろ劣っている可能性だってある。
地道にやってきた人たちが、見落とされる
僕が一番気にしてるのはここ。
過去に非行歴があるってだけで、成功が“美談化”されると──
それは同時に、「ずっと真面目にやってきた人たちの努力」が、軽く見られることにもなる。
何かをやらかしたほうが、後から脚光を浴びる理屈は解るけど。
やっぱり、真面目にやってたほうがえらいよね。
別に非行経験者を否定したいわけじゃないし、非行に走らなったからクリーンってわけでもないと思うよ。
でも、「枠を外れた=スゴい」っていう安直な評価軸には、ちゃんとブレーキをかけたい。
最後に
非行歴があることと、創造性があること。
その間に、根拠ある相関があるとは思えない。
ただ、インパクトがあるから語られてるだけ。
だから僕は、あえて言いたい。
**「地道に生きてきた“非非行群”の中にこそ、面白いやつがいる」**ってね。
名ブタでした。
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