クマが市街地に現れる“本当の理由”──境界を失った人間社会
現地の声から納得の理由を探る

どうも、名ブタです。
今年は、クマが住宅街や市街地に姿を現すニュースが例年以上に多い。
「メガソーラーが原因だ」とか、「人間が自然を壊したせいだ」という意見もよく耳にする。
でも、僕はこの説にずっと違和感を覚えていた。
だって、グーグルマップの航空写真を見れば、メガソーラーの設置面積なんて、クマの生息域を根こそぎ破壊するほどじゃない。
そして今の日本の現状を考えれば、“人間が山を開発しまくっている”という構図ともかけ離れている。
むしろ逆──人口が減り、林業が衰退し、人の活動そのものが山から後退している。
そんななかで、「人間の開発が悪い」と言われても、正直ピンと来なかったんだ。
そんな折、前秋田県知事・佐竹敬久氏のコメントを読んで、僕の中で点と点がつながった。
彼はこう語っていた。
「人口減少と経済低迷で、人の活動圏が縮小し、手入れされない山が増えている。原生林化が進み、クマの生息域が広がっている」
──前秋田県知事・佐竹敬久氏
出典:「もう戦争だよ」クマ被害急増に前秋田県知事が怒り(Yahoo!ニュース)
──ああ、これだ。
しっくりきた。僕が感じていた違和感の正体はこれだったんだ。
🪵 境界線が消えた山
昔の日本では、山と町のあいだに「見えない境界線」があった。
それは柵でも壁でもない。人間の暮らしそのものだった。
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林業のチェーンソーの音
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作業小屋や人の匂い
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山菜採りや猟師の往来
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外飼いの犬の吠え声
こうした“人の気配”は、クマにとって「ここから先は危険だ」という明確なサインだった。
クマは本来、音や匂いに敏感な動物だ。人の気配が濃い場所には、そうそう近づかない。
ところが今は──
人口減少と林業の衰退で、山の外縁から人の気配が薄れている。
犬は室内飼いが主流になり、警報のような吠え声も聞こえなくなった。
その結果、クマが“安心して市街地に近づける”ようになっている。
つまり、僕たちが知らないうちに“境界線”は消えたのだ。
余談だけど、どのくらいの規模か知らないが餌をあげる人間は非常にまずいよね。
※書いている途中で気づいたんだけど、メガソーラーは面積的には生息域を奪うほどの要素じゃない。
でも、建設中は重機や車両の往来、人の出入りが多く、建設後もメンテナンスなどで人の気配が一定数ある。
つまり、クマにとって「ここは人間の活動域」というサインにはなり得る。
逆に、そうした出入りが減ったり止まったりすると、クマにとっては“静かなエリア”──つまり境界の空白地帯になってしまう可能性がある。
そう考えると、メガソーラーが「直接の原因」ではなくても、クマの活動範囲に影響を与える要素のひとつにはなっていると思う。
🧓 山とともに暮らす人々の減少
やはり大きいのが、山で生きる職業や暮らしが減ったことだ。
かつては林業だけでなく、マタギや山菜採り、炭焼きなど、山で生計を立てる人々が一定数いた。
そうした人々は、自然との距離感をよく知っていた。
どこにクマが出るか、どうすれば近づかれないか──その土地で培われた知恵があった。
今、その知恵は急速に失われている。
たとえ「共生」を語ったところで、共生のための“知”と“技”を受け継ぐ者が減り、体感する者が減っている。
つまり、人間がただ減っただけじゃなく、山との付き合い方そのものが失われてる状況なんだ。
🐻 三毛別事件と“逆回転”する時代
1915年の「三毛別羆事件」をご存じだろうか。
北海道の開拓期に、巨大なヒグマが集落を襲い、7人が死亡した事件だ。
当時は、人間がヒグマの生息域を浸食する形で開拓を進め、クマと人間の活動範囲が重なっていた。
だから、惨劇が起きた。
でも、いま起きているのはその“逆”だ。
人間が山から退き、クマの生息圏が押し戻してきている。
道路も林業も、犬の吠える声もなくなれば、クマにとって人里はもう怖くない。
かつて「人間の領域」だった場所が、クマの安全圏に変わりつつあるのだ。
ちなみに、北海道のヒグマはグリズリーと同じ系統。
体重300kg超の大型捕食者に「かわいそうだから殺すな」という言葉が、いかに現実から乖離しているかは、言うまでもない。
🐿 クマの餌が“大凶作”──誘発要因の正体
クマの餌であるどんぐりが今年は大凶作らしい。
クマが市街地に現れるのは餌を求めての行動だと言う論があるけど、これも納得できる。
これだけだけだと”?”だったんだけど。活動範囲が広くなってるって話と合わせて腑に落ちる。
餌が凶作だけだと『これまで凶作はなかったのか?』ってなるし、
活動範囲が拡がっただけだと『今年いきなり拡大したのか?」ってなる。
でも上記の二つを合わせると、
クマの活動範囲は人里に近いエリアまで拡大していた。
そこに餌の凶作でクマが餌を求めて活動範囲をさらに拡大した。
だから、クマ被害が拡大してる。
という所で納得できる。
🐾 クマに“道徳”は通じない
「むやみに殺すな」と言う人は多い。
でも僕は思う──
じゃあクマにも「むやみに人を襲うな」って言ってみろよ、と。
クマは人間の倫理を理解しない。
人間が善人だろうと保護派だろうと、クマにとってはただの餌か邪魔者だ。
クマと人間は“生態系の中で生息域を奪い合っている”というだけの話。
そこに「かわいそう」という一方的な感情を差し込んでも、現実は変わらない。
📝 結び:境界線を失った人間社会
僕がこの記事で言いたいのは、「クマをどうするか」という結論じゃない。
大事なのは、いま起きている現象の構造を正しく理解することだ。
クマが市街地に出るのは、
人間が自然を破壊したからじゃない。
人間が“退いた”から、クマが押し戻してきているんだ。
マタギ文化のような“山との知恵”が薄れ、犬が吠えることもなくなり、林業の音も消えた。
──ただそれだけで、生態系の力関係はあっさりと反転する。
今、失われているのは「共存の幻想」じゃない。
人とクマの“境界線”そのものなんだ。
名ブタでした。








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