維新の高校無償化、このままでは公立が壊れる──本当に守るべきは教育と子どもだ
― 耳障りのいい政策の裏で、現場は静かに崩れていく ―

どうも、名ブタです。
維新(日本維新の会)が推進する「高校無償化」。
一見すれば耳障りのいい政策だ。
授業料が軽くなれば家庭の負担は減り、子どもたちの進学機会も広がる──そう語られている。
けれど、僕はこの話を“いいこと”だけで終わらせるつもりはない。
なぜなら、この政策の裏には、公立高校が静かに壊れていく構造が潜んでいるからだ。
教育は国家の土台。
耳障りのいいスローガンに流されれば、土台は音もなく崩れていく。
大阪で現実に起きている「公立高校の統廃合」
まずは実例を見てほしい。
維新が教育改革を進めてきた大阪では、公立高校の定員割れが深刻化している。
2024年度には、3年連続で定員割れを起こした17校が募集停止となったと報じられた(FNN)。
全日制・定時制を含めれば、70校近くが定員割れ(ダイヤモンド・オンライン)。
無償化によって私立が魅力的になり、子どもたちがそちらに流れる。
結果、公立の定員は割れ、地域の学校は統廃合され、教育の選択肢そのものが縮小していく。
これは「学校が減る」だけの話ではない。
地方の子どもにとって、公立がなくなるというのは「進学の道そのものが閉ざされる」ということなんだ。
維新はこういう所を語らないのが悪い所。
高校無償化の裏で、私立は「値上げ」してくる
もう一つ、政策の“見えない副作用”を見ておく必要がある。
授業料を国や自治体が肩代わりする形になると、私立は値上げできる余地が広がる。
なぜなら値上げしても、家庭の負担はゼロのままだからだ。
たとえば月3万円の授業料を4万円に上げても、補助が満額なら保護者の負担は変わらない。
むしろ学校側は「質の向上」を名目にした上乗せを仕掛けてくる。
これは、医療・介護・保育など、補助金が流れ込む分野では何度も起きてきた構図だ。
結果、
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私立の施設・カリキュラムはさらに充実
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公立は予算と裁量の制約で対抗できない
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生徒の流出が加速
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公立の統廃合が進む
つまり、「無償化」は単なる負担軽減策ではなく、教育市場の力学を根本から変えるトリガーなんだ。
公立は“国家戦略”の教育インフラである
ここが一番の核心だ。
公立高校は、私立と並ぶ“選択肢”なんかじゃない。
国家が国民に教育を施すための“基盤”であり、“国家戦略の中核”なんだ。
もし公立が衰退し、私立が教育の主役になる社会になれば──
それは国家が「教育権」という根本的な力を民間に明け渡すことを意味する。
私立はそれぞれに経営主体と教育方針があり、国家としての統一理念は存在しない。
つまり、
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公教育の基準が崩れる
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地域間の教育格差が拡大する
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国家としての共通基盤が失われる
これは学校の数の話ではない。
国家の根幹が削られていく話なんだ。
いや、僕に言わせたら日本という国家が無くなるに等しい事態だ。
教育は市場に委ねる領域ではない。
だからこそ公立は「守る対象」ではなく、「国家の戦略インフラ」として位置づけるべきだ。
「教育費ゼロ」では子どもを守れない
さて、ここで話をもう少し広げよう。
授業料がゼロになっても、それだけで子どもたちが安心して学べるわけじゃない。
現実には、授業料以外にこんな負担がある:
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制服・靴・鞄などの初期費用
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教科書・教材・タブレット・通信費
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通学費
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食費や生活費
高校無償化は、この“現実の負担”をカバーしない。
結果、補助を活かせる家庭と、そうでない家庭の格差がむしろ広がる可能性がある。
だからこそ僕は、「教育費ゼロ」より先に教育環境の底上げが必要だと考えている。
教育環境の底上げ──まず「底」を整える
本気で教育格差をなくすなら、
・教科書や教材の完全無償化
・制服・靴・通学用品の補助または貸与制度
・通学費の公的負担
こういうところから着手するべきだ。
授業料だけをタダにしても、制服一式10万円という現実がある限り、貧困層は教育のスタートラインにすら立てない。
「公立を守る」とは、こうした基盤を国が担保することでもある。
教育を受けるためには、生活の“土台”が必要だ
授業料を無償化しても、それだけで子どもたちが安心して学べるわけじゃない。
教育環境には、学ぶための土台──衣・食・住といった基本的な生活が欠かせない。
住居はあっても、食事や衣服に困っている子どもは少なくない。
洋服が買えない。昼食を抜く。晩ごはんがまともにない。
こうした“生活の崩れ”は、最終的に学業継続を脅かす。
民間の善意による「子ども食堂」やリユース活動もあるけれど、
本来これは──国家が責任を持つべき領域だ。
食や衣を守る仕組みを「制度」にする
だから僕は、生活の基盤を“施し”ではなく制度として整えるべきだと考える。
たとえば食事クーポンのように、子ども本人が昼食・夕食を確保できる仕組み。
あるいは洋服や靴など、最低限の衣類をサポートする仕組み。
・1日2回まで、コンビニや飲食店で使える
・衣類については提携店舗や古着屋との連携
・“恥ずかしさ”を伴わない自然な利用導線
──こういう制度なら、善意に頼らず子どもたちを守ることができる。
親ではなく「子ども本人」に渡す仕組みを
そして、何より重要なのは**「本人に届く」こと**。
従来の補助金は親を通して配られることが多いが、
現実には教育や生活のために使われないケースもある。
だからこそ、
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学生証やQRコードと紐づけたデジタルID
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スマホやカードで利用
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本人以外は使えない認証仕組み
この技術設計が必要になる。
ここは、行政と技術力を持った政治勢力──「チームみらい」みたいなところに本気を出してもらいたい部分だ。
教育を守るとは、「学ぶ環境」まで守ること
授業料を下げることだけが教育政策じゃない。
食や衣、生活の最低限を国が担保してこそ、子どもは学び続けられる。
この領域は“余談”じゃない。
むしろ教育の土台そのものであり、国家が放棄してはいけない部分だ。
公立と私立のバランスを崩すな
公立と私立は、本来競争相手じゃない。
両輪があることで教育の厚みと多様性が生まれる。
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私立が特色を出し
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公立が国家基盤として支え
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そのバランスが保たれることで教育全体が強くなる
無償化が私立の値上げと公立の衰退を招くなら、それは政策ではなく国家の戦略ミスだ。
国家が教育を市場に委ねた瞬間から、国は自らの未来を失う。
優しさを“制度”に埋め込むという発想
僕が言いたいのは、善意に頼る社会じゃない。
制度そのものに優しさを埋め込むという発想だ。
制度の存在が身近に感じられ、多くの人が自然と関わるような制度。
こうした仕組みを積み上げれば、支援は“特別な施し”ではなく“空気”になる。
おわりに
高校無償化は、一見すると耳障りのいい政策だ。
だがその裏で、公立高校は静かに壊れ、国家の教育インフラは削られ、格差は拡大する。
僕は、教育も、子どもも、未来も守りたい。
だからこそ、スローガンではなく、構造を見る。
無償化の“先”を考える。
本当に守るべきは、政策の言葉じゃなく──
教育そのものと、そこにいる子どもたちだ。
──名ブタでした。







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