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【書籍レビュー】神様のカルテ|命と向き合う人間の物語

――“先生”を神様にしてしまう僕らの眼差しについて――

本を読むブタ

どうも、名ブタです。

『神様のカルテ』という小説が面白いので紹介するよ。

『神様のカルテ』は一見すると医療の物語に見えるけれど、
実際は「人が命とどう向き合うか」という、誰にとっても避けられないテーマを描いた作品だ。
医者という特殊な職業を通して、人間の誠実さや限界を描いた“生き方”の物語でもある。


医者の理想と、人としての限界

主人公・栗原一止は、患者に寄り添う理想の医者だ。
けれど、その理想は同時に彼を苦しめる。
人に尽くすことの尊さと、自分を削ってまで他者を救うことの矛盾。
その狭間で葛藤する姿を通して、物語は「理想の医者とは何か?」を問いかけてくる。

栗原は神様のように完璧ではない。
むしろ、理想に傷つきながらも人に寄り添おうとする“人間”そのものだ。
だからこそ読者は、彼の姿に「人としての誠実さ」を見るんだと思う。


御嶽荘――医者を“人間”に引き戻す場所

栗原が暮らす御嶽荘は、医療現場とはまったく違う温度を持った場所だ。
文学者や変わり者の住人たちと交わす何気ない会話は、彼から“医者”という肩書きをそっと外してくれる。
この時間こそ、読者が栗原を“人間としての一止”として見つめ直すきっかけになる。

御嶽荘は、神様のように崇められる“医者”という存在を人間の次元へ引き戻す装置なんだ。
そこでは命を救う話は出てこない。
けれど、日常の中で人を想い合う姿こそが、実は「命と向き合う」ということの原点なのかもしれない。


細君が語る“神様ではない医者”の姿

そしてもう一人、栗原を現実に繋ぎとめる存在が細君(一止の妻の榛名)だ。
彼女の言葉は、夫だけでなく読者に向けられている
彼女を通して僕らは気づく――医者もまた誰かの大切な人であり、誰かに守られる側でもあるということに。

「先生」と呼ばれる存在を前にしたとき、
僕らはその人の人間性よりも“神性”を求めてしまう。
だが、細君の優しいまなざしが、それをやんわりと否定する。
彼女は、医者も人間であるという当たり前の事実を、読者に思い出させる存在なんだ。


“神様のカルテ”というタイトルに込められた問い

『神様のカルテ』というタイトルは、
一見すれば「真摯に命と向き合う理想の医者、神様のような存在が記す命の記録」として解釈できる。
確かに栗原一止は、患者に寄り添い、誠実に医療と向き合う医者だ。
その姿はまさに“神様のカルテ”と呼ぶにふさわしいものだろう。

けれど、物語を読み進めるうちに、読者は気づく。
医者もまた、一人の人間であり、誰かの大切な人であることを。
そして「医者は神ではない」という、静かな真実を。

だから僕の中では、このタイトルの末尾に**“とは?”**がついているように感じる。
“神様のカルテ”とは何か。
それは、神のような医者の記録ではなく、
人が神を求め、そして人間として生きようとするその記録なのかもしれない。

名ブタでした。


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Posted by 名もなきブタ

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