日本人とは何か──国家観なき政治の空虚
ー 民族とは血統ではなく、精神領域に築かれる“絶対不可侵の国土”である。

どうも、名ブタです。
最近の政治家を見てて思うのは、「日本をどうしたいのか」という国家観をまるで語れないこと。
経済成長だとか国際協調だとか、そういう言葉は並べるのに、肝心の「日本人とは何か」って問いには触れないんだよな。
でも、本来そこを示すのがリーダーの役目じゃないのか?
高市政権はその辺期待できそうだけど、疑問符だらけの政治家が消えたわけじゃないから、今回も文句ぶちまける。
国家観を持てない政治
「観光で地域活性化」「国際交流で友好関係」みたいな耳ざわりのいいことは言うけれど、方向性はフワっとしている。
国家観がないから、政策がその場しのぎになって、結局は利権に流される。
その結果、日本人が大事にしてきた文化や誇りが削られていくんだ。
民族とは何か
民族って、血のつながりだけで決まるもんじゃない。
国土を愛して守り、そこに誇りを持つことで民族は成り立つ。
国を失ったとしても、その誇りが残る限り、民族は消えない。ユダヤ人の例を見れば分かるだろう。
だから日本人であるってことは、単にパスポートや血統の話じゃない。
日本を愛して、日本人としての誇りを持てるかどうか。
それを共有できる心の領域こそ、“絶対不可侵の国土”だと僕は思う。
精神の国土
人の心の中に築かれる目に見えない国土。
そこに「日本人である」という自覚が宿る。
これが民族をつなぎ、国家を支える柱になるんだ。
だから帰化した外国人でも、日本を大事に思い、日本人として誇りを持つなら受け入れるべき存在だろう。
逆に、血筋があっても日本を軽んじるなら、それは日本人とは言えない。
事例──ヌートバーが示したこと
野球のヌートバー選手が日本で歓迎されたのは、血筋のせいじゃない。
彼の態度やプレーに「日本を背負う覚悟」が見えたからだ。
つまり日本人は、心で日本を生きているかどうかをちゃんと見ているんだ。
結び
政治家が国家観を語れないのは、本当に致命的だと思う。
「日本人とは何か」「どんな民族でありたいのか」を語れないから、政策は空っぽで利権に流される。
日本人とは、「精神の国土を共有する者」。
僕はそう考える。
そこを語れない政治家に、この国の未来を任せるわけにはいかないよな。
名ブタでした。










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