人類の兵器所有と開発の是非 #04|兵器はあるのに戦えない未来
―無効化技術が戦争を消す可能性

どうも、名ブタです。
前回は「兵器と技術の二面性」について語った。
兵器開発が技術を加速させる一方で、ノーベルやアインシュタインのように発明者を苦悩させた歴史を見たわけだ。
今回はそこから未来の話に進んで、「兵器はあるのに戦えない世界」が来るかもしれないって考えてみる。
攻撃と防御の歴史は「追いかけっこ」だった
兵器の歴史を見れば、基本は殺傷力を高める競争だ。
威力・命中率・射程距離・速度――どれも「どう倒すか」に集中してきた。
一方、防御は後追い。
城壁は大砲に砕かれ、装甲は徹甲弾で抜かれ、レーダーはステルスで欺かれる。
要するに、防御は常に“対処療法”でしかなく、完全に攻撃を無効化した歴史はない。
でも、ここから先はちょっと景色が変わるかもしれない。
文明と兵器は「試行錯誤」の歴史
文明の発展を振り返ると、常に試行錯誤が積み重なってきた。
以前に、石油廃止を叫ぶ過激な環境活動は現実的?矛盾と特区を考える雑学と言う記事の中で僕は、文明の発展により発生する問題は、文明の発展により克服してきたといった事を書いた。
たとえば家の屋根。縄文時代の竪穴式住居から現代の住宅に至るまで、雨風や雪に耐えるために何度も工夫が繰り返された。
地域ごとに屋根の形が違うのもその証拠だし、「どうすれば快適に暮らせるか」という問いに人類は長く挑んできた。
兵器もそれと同じで、常に「どうすれば突破できるか」「どうすれば守れるか」という試行錯誤が繰り返されてきた。
その延長線上に、今ある兵器を「無効化する」技術が出てくる可能性は十分あると思う。
もしそうなれば、兵器を捨てるのではなく、兵器が力を失うことで平和を願う人々の想いが成就する未来が見えてくるかもしれない。
無効化にシフトする未来
もし技術がもっと突き抜ければ、攻撃自体を成立させない仕組みができる可能性がある。
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迎撃技術の精度が極限まで高まる
→ミサイルは打ち落とされ、遠距離攻撃の意味がなくなる -
電子戦による妨害
→発射直後にシステムが狂って墜落、そもそも飛ばない -
即時反撃システム
→発射を検知した瞬間、自動的に反撃が飛ぶ
撃った時点で「自滅」する抑止構造
こうなってくると「撃っても無駄」という認識が広まり、兵器は持てても実際には使えない。
インフラ化したら後戻りできない
もし「無効化技術」が社会インフラとして普及したら、それを崩すのはめちゃ難しい。
インターネットが一度世界に浸透して元に戻れないのと同じで、「戦争できない構造」が常識になるかもしれない。
ここで面白いのは、戦争を「禁止」するんじゃなくて、「成立させない」方向に進むってこと。
恐怖で抑止する時代(核の相互確証破壊)から、技術的に戦争を封じ込める時代へのシフト。
名ブタ的まとめ
兵器の歴史は殺傷能力アップが本筋だった。
防御は常に遅れを取り、無効化なんて夢物語に聞こえた。
でも、文明の発展が試行錯誤で進んできたように、兵器だって試行錯誤の先に「力を失う形」へたどり着く可能性はある。
それは単なる技術の進歩ではなく、平和を願う人々の想いが技術の方向を変えた未来かもしれない。
そして、この未来像は僕たちが「兵器を完全に捨てる」より現実味がある選択肢だと思うんだよね。
次回はさらに踏み込んで、「じゃあ兵器を作らなくてもいいのか?」という問いを考えてみる。
隕石や宇宙人といった外的脅威に備える意味を含め、未来世代に何を残すか――そこで一つ結論を探してみたい。
名ブタでした。







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