正義は少数派か?──いじめを止める設計の話
― 処罰の前に「空気」を設計せよ ―

どうも、名ブタです。
いじめの話になると、だいたいこうなる。
「厳罰化すべきだ」
「教師の責任だ」
「親の教育がなってない」
でも、僕は少し違うところを考えている。
いじめを止めるには、処罰の前に
“空気の設計”が必要なのではないか。
正義は、本当に少数派なのか?
子どもは残酷だ、という言葉がある。
だが、本当にそうだろうか。
多くの子は心のどこかで分かっている。
「あれは良くない」と。
それでも動けない。
なぜか。
孤立が怖いからだ。
ヒエラルキーがある。
数の論理がある。
スポーツや人気の序列がある。
助けに入ったら、自分が標的になるかもしれない。
つまり問題は「悪意」よりも
**“少数派になる恐怖”**だ。
特に中学生くらいになると、子供は社会性が育って他者や社会との同調を学ぶ。
僕のこの辺の考えは今回は語らないが、精神的な成長背景もいじめ問題は構造的に抱えてる。
だからこそ、僕はこう思う。
正義は大多数だ、と先に可視化すべきではないか。
声を上げられる場所は「ある」では足りない
相談室があります。
アンケートを取っています。
でもそれは制度。
必要なのは、
-
声を上げた人が守られると明文化すること
-
声を上げた行為を評価する文化を作ること
-
担任だけでなく学校全体で扱うこと
これは
いじめ防止対策推進法
の枠組みの中でも可能なはずだが、
実際は“対応”中心で“設計”には踏み込めていない。
本当に必要なのは
「助けていい」ではなく
「助けるのが当たり前」な空気
だ。
親もチームに入れる
問題が起きた後に説明会をするのでは遅い。
加害者の親が防御に回り、
被害者の親が怒り、
学校が板挟みになる。
だからこそ平時から
-
いじめの構造
-
傍観の心理
-
子どもが孤立を恐れる理由
を共有する場が必要だ。
先生と保護者が同じ思想を持っていれば、
空気は変わる。
処罰の前に、情操と設計
厳罰化は一つの手段だ。
だが処罰は“発生後の話”。
本当に必要なのは、
-
正義は多数派だと示すこと
-
声を上げる人を守ること
-
ヒエラルキーよりも価値基準を上位に置くこと
それは道徳ではなく、設計だ。
いじめは悪い。
それは誰でも知っている。
でも、
助けることが安全であると
子どもが確信できているだろうか?
そこに、まだ設計の余地がある。
──名ブタでした。










ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません