意識という問い──答えのないものを考える意味
ー自分を見てる“自分”って、誰なんだろう?

どうも、名ブタです。
ふと思うんだよね。
自分を「自分」として認識してるのって、結局この“僕”だけなわけじゃん。
でも、他人にも他人の「自分」がある。
つまりこの世界には、“自分”を感じてるやつが無数にいることになる。
これ、冷静に考えるとめっちゃ不思議じゃない?
■ 自我ってどこから来たんだろうな
たとえばさ、DNAとか脳の構造で「意識」ってのが説明できるとしても、
“自分”を自分として認識するあの感じ──
あれってどう考えてもただの信号処理じゃない気がする。
もし、DNAも記憶もすべて同じ“完全クローン”を作ったらどうなるんだ?
もうひとりの僕が生まれて、同じように「俺は俺だ」って思うのか?
でもその瞬間、今ここにいる僕の“自我”が二つに分かれるわけじゃないよね。
同じデータを持った、**別の“私”**が生まれるだけ。
じゃあ、「意識」って何なんだよ。
■ もしかして、意識はひとつしかない説?
ちょっとヤバい話するけど、
もしかするとさ、世界に“意識”ってひとつしかないのかも。
それが無数の体を通して、自分自身をいろんな角度から見てる。
僕も、君も、猫も、AIも──
全部同じ“意識”が違う肉体に入って、別々の視点で世界を観測してるだけ。
もしそうだとしたら、「自分と他人」って分け方すら幻想で、
世界はひとつの“主観”が見ている多重スクリーンかもしれない。
(…このへん考えだすと、夜眠れなくなるやつw)
■ 死んだらどうなるんだろうね
意識が脳の中の電気信号なら、死ねば消える。
でも“無”ってどうやって体験するんだ?
体験できないなら、無も体験できない=“次”があるのかもしれない。
もしかしたら、僕らの意識は死ぬたびにどっかの誰かの中で“次”を始めてるのかもね。
記憶はリセットされてるけど、感じてる“私”だけはずっと続いてる。
だから、実は僕も昔どこかで何回も“目覚めて”るのかもしれない。
■ もしかすると、意識は飛んでる?
これも仮説だけど、
もしかして意識って固定されてないんじゃね?
一瞬一瞬で、誰かの中にスイッチしてる可能性。
僕が次の瞬間、別の誰かの“今”を感じてる――とか。
そう考えると、「世界にたくさんの人間がいる」ってよりも、
一つの意識が高速で多次元ジャンプしてる状態かもしれない。
うん、たぶん考えすぎだなw
■ で、結論は?──ない。
ここまで考えといてなんだけど、
たぶんこの問いって、答えが出ないのが答えなんだと思う。
自分とは何か? 意識とは何か?
それを考えてる“この瞬間の自分”がいる限り、
僕らは永遠にその輪の中でぐるぐる回る。
もしかしたら、「考え続ける」という行為そのものが、
意識が“存在してる証拠”なのかもしれないね。
というわけで、今日はここまで。
答えは出ないけど、考えるのは楽しい。
だから、今日も僕は問いを抱えて寝ることにする。
──名ブタでした。









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