人類の兵器所有と開発の是非 #05|ダイナマイトの悲劇を反転させよ
―愚かさを克服し、科学者たちの苦悩に報いるために

どうも、名ブタです。
前回は「兵器が無効化される未来もありえる」という話をした。
じゃあ、そもそも兵器なんて作らなくてもいいんじゃない?って声が出てくるのは当然だよね。
ここからは、その問いに踏み込んでみたい。
兵器を作らなくても想像は止まらない
人類って「想像する生き物」なんだ。
もし現実で兵器開発がストップしても、物語や空想の中で新しい兵器は必ず生まれる。
実際、SFや漫画に出てきた兵器が、後に現実で研究対象になった事例は山ほどある。
つまり「作らない」選択をしても、人類の想像力が未来の種をまく。
だったら、その発想がいずれ現実になる前提で備えを考える必要があるんじゃないかと思う。
隕石や宇宙人という“外的脅威”
僕が兵器の意義を考えるとき、どうしても頭をよぎるのは「地球外的な脅威」だ。
隕石衝突はSFじゃなくてリアルな歴史だよね。恐竜絶滅だってその一因とされてるし、地球各地に落下跡が残ってる。
もし現代に同じ規模の隕石が落ちれば、都市ひとつどころか四国サイズが吹っ飛ぶレベルの被害になるかもしれない。
じゃあその時、僕らは潔く滅びを受け入れるのか?
それとも、迎撃や被害軽減のための「兵器的な技術」を残してあがくのか?
宇宙人の存在については証拠はない。
でも仮に侵略を受けたとき、「絶対に戦わない」と決め込むのも、それはそれで一つの思想だと思う。
ただ僕は、交渉が成り立つまで耐えられる手段は必要だと思ってる。相手を無力化する技術でもいい。要は「何もできずに滅びる未来」だけは避けたいんだ。
人間が存在する宇宙人を否定はできないし、人間の行いを見ていても宇宙人が無害と考える方が無理がある。
ダイナマイトの悲劇を反転させる
ダイナマイトはノーベルが鉱山や建設の役に立つと願って作ったのに、戦争に使われてしまった。
科学者が生み出した希望が、人類の愚かさで悲劇に転じた典型例だよね。
でももし、僕らが未来世代に「兵器の平和利用という思想」を残せたなら?
それこそ地球外生命体が攻めてきても平和に解決できるくらい文明が発展したら?
それは人類が愚かさを克服し、科学者たちの苦悩に報いることになるんじゃないだろうか。
兵器を完全に捨てる未来も尊い。
けど僕は、「無策で滅びる」より「備えて生き延びる」方を残したい。
それが兵器の存在意義を反転させる可能性だと考えてるんだ。
名ブタ的まとめ
兵器は人類同士の争いを生む存在だった。
でも見方を変えれば、人類そのものを守る盾にもなりうる。
外的脅威に無策で挑む未来か、備えを持ちながらも愚かさを克服した未来か。
その選択は、僕らではなく未来世代が受け取ることになる。
だからこそ今、問いを残したい。
「君たちはどんな未来を残したい?」
名ブタでした。







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