人類の兵器所有と開発の是非 #01|冗談から始まる限界思考
―アメリカの振舞から思う、日本防衛の脆さ

どうも、名ブタです。
むしゃくしゃして「ホワイトハウス攻撃してやろうかな?」なんて冗談を口にしたら、そこから思考が勝手に転がって、核とか兵器とかの話に行き着いちゃったんだよね。もちろん本気じゃないよ。でもね、そういう軽口って、裏返すと「防衛とか力に対する不安」が心のどこかにある証拠なんじゃないかな。
アメリカに守られてるってホント?
戦後の日本は、ずっと日米安保に守られてきたわけで。
「日本が攻撃されたらアメリカが守ってくれる」って信じてる人も多いよね。
でもさ、今のアメリカ大統領トランプは徹底したアメリカ・ファーストだし、過去にもこんなこと言ってる。
「日本が攻撃されても、自動的に守るわけじゃない」
冷たい言い方だけど、国家って結局「自国の利益」が優先なんだよ。
もし日本が攻撃されても、「これは割に合わないな」って思ったら途中で撤退する可能性だってある。
そう考えると、「核を持たない国」でいることって、めっちゃ危うくない?
倫理じゃなくて抑止力で止まった核
第二次世界大戦で核を実際に使ったのはアメリカだけ。
あのときはアメリカしか持ってなかったから、使えちゃったんだよね。
その後、ソ連とか他の国も核を持ち出すと状況は一変する。
核が使われなくなったのは「倫理的に悪いから」じゃなくて、
「撃ったら自分も滅ぶ」=相互確証破壊(MAD)
この仕組みが働いたから。
つまり「核は持ってるからこそ使えない」っていう、皮肉な存在になったわけ。
僕の立ち位置
僕自身はね、人類同士で戦って悲しみを繰り返すのってどうなの?って思ってる。
ただ一方で、隕石が落ちてくるとか宇宙から侵略されるとか、そういう“有無を言わせない脅威”には備えるべきだとも思う。
だから僕のスタンスはこんな感じ:
-
兵器を完全否定するのは危ない
-
でも人間同士で使うのはナシ
兵器を持つなら「互いを滅ぼすため」じゃなくて、
**「どうしようもない事態に抵抗するため」**であってほしいんだ。
現実は軍需産業が回してる
もっともね、現実に兵器開発を推し進めるのは「隕石」みたいなロマンじゃなくて、差し迫った身近な危機意識なんだよね。
市場が「敵」を認識するからこそ、軍需産業はそこに投資を集中させる。
だから僕が語る「宇宙人に備えるんだ!」みたいな理屈は、産業界から見ればおそらく希薄な動機。
現実を動かすのは理念じゃなくて利害。
それでも僕は、「兵器の意義そのもの」を問い直したいんだ。
さて、どうする?
冗談から始まった思考の寄り道は、結局「日本の防衛の脆さ」という現実に突き当たる。
アメリカに頼り切りの構造をこのまま放置していいのか。
それとも、自分たちで「備える力」を持つべきなのか。
僕らは「兵器を捨てて理念を貫く」のか。
それとも「兵器を持って手段を残す」のか。
あなたなら、どっちを選ぶ?
名ブタでした。







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