石油廃止を叫ぶ過激な環境活動は現実的?矛盾と特区を考える雑学
―矛盾と極論の役割、そして僕が考えた「特区」の発想―
どうも、名ブタです。
SNSを見ていたら「石油廃止」というワードがトレンドに上がっていた。
正直、また出てきたなと思った。過激な環境活動って、いつもどこかに矛盾を抱えている。
石油廃止を叫んでいる本人たちが、石油を原料にした衣服や道具を使っている。そんなバッシングのコメントはもっともだと思う。
まぁ、こういうのも雑学ネタみたいなもので、真面目に考えてみると意外と面白い。
過去にも「問題」はあったが、発展で解決してきた
環境問題が深刻なのは事実だ。でも、文明の発展って「問題が起きる → 解決する」の繰り返しでもある。
昭和の頃を思い出してみれば、公害で川や空気が汚れた時代があった。
でも規制や技術の進歩で改善されてきた。今も綺麗なわけではないけど、少しマシ。あの道頓堀川も少しマシらしい。
だから「廃止」や「禁止」も一つの手段ではあるけれど、文明そのものを捨てるかのような極論は現実味がない。
実際に活動家たちは、そこまでの覚悟を持っているのだろうか?
極論は議論を動かすきっかけでもある
とはいえ、極端な主張には意味もある。
「段階的にやりましょう」では誰も注目しない。
けれど「ゼロにしろ」と叫ぶからこそ、ニュースになり、僕の耳に届く。
そこから議論が始まるのは事実だ。
だから「全部頭おかしい」とは言わない。
狙って極論を投げている人も中にはいるかもしれない。
……ただし、名画にスプレーをぶちまけるような行為まで正当化できるかといえば、それはさすがに倫理観を疑うレベルだから、その活動に参加してる時点で個人的には賛同できない。
石油廃止特区という発想
じゃあ、もし本当に石油を廃止したいのならどうすればいいか?
僕は唐突に思った。完全な思いつきだ。「石油廃止特区」を作ったらいいんじゃね?
そのエリアでは石油由来のものは一切使えない。
服も、輸送も、医療も。現代文明の多くを手放した世界を、そこで体感してもらえばいい。
ちょっと面倒だけど、エリア外で誘惑に負けないように、なんか住民証明書みたいの使って特区の住人だと石油が使われてるような製品は変えない・利用できないようにしたらどうだろうか?
本当に「石油ゼロ」で暮らせるのかどうか、机上の議論よりもはっきりするだろう。
おわりに
文明は常に問題を生み出しながら、それを解決して発展してきた。
石油廃止を叫ぶ活動も、議論を促すきっかけとしての役割はある。
でも、矛盾を抱えたまま理想だけを語るのではなく、自分たちが訴える世界を本当に体感できるのか?そこに踏み込んでこそ説得力が出るんじゃないだろうか。
名ブタでした。
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