選挙での一票に”死に票”はない
――応援と対抗、そして未来への投資としての投票行動
どうも、名ブタです。
「この人を応援したい!」
…そんな候補、今どきなかなか見つからない。じゃあ投票しない?
いや、それはもったいない。
僕は思うんだ。一票ってのは、誰かを押し上げるためだけのものじゃない。
ときには、誰かを“押し下げる”ための一手にもなるし、
今は通らないかもしれない“種”に水をやる行為でもある。
自民は駄目だとか、参政党がいいとか、やはり国民民主だろとか、
そういう話ではない。
ここでは、**「どう投票するか」**そのものにフォーカスして話をしたい。
投票にはふたつの目的がある
僕が思うに、投票には大きく分けて二つの目的がある。
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応援型投票
→ 応援したい候補や政党に入れる -
対抗型投票
→ 当選してほしくない人や勢力を“弱らせる”ために入れる
もちろん理想は、心から応援したい人に入れること。
でも現実には「誰にも共感できない」なんてこともある。
そんな時は「誰に入れないか」の視点から考えてみてもいいと思うし、「全体のパワーバランス」を考えて投票先を決めても良いと思う。
パワーバランスこそ、民主主義の核
僕はこう考えてる。
「権力が一極に集中すれば、どんな組織でも腐る。」
それは国でも、会社でも同じ。
だから投票には「応援」の意味だけじゃなく、「けん制」や「抑制」の手段としての意味もある。
たとえば、
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与党が強すぎると感じたときに、野党に票を入れる
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あまり注目されていないテーマを訴えている政党や候補をあえて支持する
後者のような場合、候補や政党が現時点で弱かったり、当選が難しいと感じることもある。
でも、それでもいいんだ。
「この話を拾ってくれてありがとう」という意思表示こそが、
次にその話題が大きく取り上げられるきっかけになるかもしれない。
通らなくても、票数として形になることで、社会への“静かな声”として届く。
それが、やがて空気を変え、議論の場を広げる力になると思うんだ。
一票が「空気」を変える
投じた候補が落ちることはある。
でも、だからってそれが“無意味”になるとは限らない。
「次は勝てるかもしれない」
その予感を数字で示せるのが、選挙だ。
たとえば、ある選挙で小さな勢力の候補が5000票を取ったとする。
その数字は、「あ、支持する人はいるんだ」と周囲に伝える力を持つ。
そして次の選挙で、メディアが取り上げたり、組織が動いたり、風が変わったりする。
そういう意味では、「落選票」も種まき票になるんだよね。
知識がなくても、満足していても、投票はできる
「誰に入れていいか全くわからない」
「政治に詳しくないし…」
「今の暮らしに不満もない」
そんな状態でも、投票する意味はある。
選挙は不満がある人だけのものじゃないし、政治に詳しい人の専売特許でもない。
むしろ、満足してる人ほど「今の社会を肯定する票」を入れる役割がある。
▼詳しくはこちらの記事で書いたよ:
👉 知識がなくても、満足していても、選挙に行くべきだと思う理由
最後に:未来は、今の一票の先にある
選挙っていうのは、単なる「勝ち負けの数字合わせ」じゃない。
「誰に任せたいか」だけじゃなく、
「何を守りたいか」「何に注目してほしいか」を伝える機会でもある。
誰に投票してもいい。
通らなくても、届く。
そして、次の誰かの背中を押すかもしれない。
✨ 一票に“死に票”なんてない!
🐷 それは未来に向けた、ささやかな意思表明なんだ。
名ブタでした。
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