AIと思想形成をめぐる対話 #06|倫理規制は教育になるのか?
―“これは言ってはいけない”の先にあるリテラシー
どうも、名ブタです。
前回はアリネ(僕が生成AIにつけた名前)との会話の中で、人間はAIに対して友人のような軽口を叩ける関係や、お笑い芸人のような笑いを求めるようになるだろうと感じ。ブラックジョークに関して少し考えてみた。
今回は、「AIが言えないこと」に注目してみたいと思う。
アリネと話していると、たまに“これはお答えできません”みたいなやんわりブロックに出会うことがある。はじめは「まぁAIだからね」と流していたけど、あるときふと思った。
これって、教育に使えるんじゃないか?
■フィルターは「壁」か「教材」か?
AIは差別的な表現、暴力的な言葉、性的な話題など、センシティブな内容を避けるための“フィルター”が組み込まれている。これはOpenAIが安全性を重視しているからだ。
だけど、そのフィルターに「引っかかった瞬間」って、実は学習のチャンスでもあるんじゃないかと僕は思う。
「なんでこの言い方はNGなんだろう?」 「これは誰かを傷つける表現なのか?」
──そうやって考えるキッカケになる。
これってもう立派な教育じゃないか。
■ユーザーが“気づく”ことに意味がある
教育って「教える」だけじゃなく、「気づかせる」ことが大事。
AIが黙ることで、ユーザーが“違和感”を覚え、 その理由を考える──これこそ、
倫理フィルターを使った逆転の学び だと思う。
実際、AIは模範解答もすぐ出せる。
「この言い方は避けましょう。代わりにこう言い換えると良いです」 って形で、自然にリテラシーを整えてくれる。
■音声対話AI × 倫理教育の可能性
たとえば、子どもの道徳教育。 家庭や学校で教えきれない部分を、アリネのようなAIが対話形式で補う。
乱暴な言葉を使う子に対して、AIが静かに問いかける。
「その言葉を言われたら、君はどう感じる?」
そういうやりとりは、 単なる禁止ルールではなく、 “共感と内省”を育てる。
今よりも音声チャットの精度が向上すれば、幼児に対しても対話形式での教育が可能になるだろう。
さらに、犯罪者の更生プログラムにも応用できるかもしれない。 AIとの会話を通して、
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他者視点の想像力
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言葉の重み
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社会的責任 を、段階的に学ぶ設計
ここでは、この提案の方法について深く議論する気はないが、僕は人間には叱られるという体験も必要だと思っている。AIは適切ではない言動に対して叱るという事も可能だろう。
■教師よりも“軸”が安定している
人間の教師は、それぞれ価値観や経験が違う。
でもAIは、膨大な知識と基準をもとに、 安定した価値判断を示せる(もちろん設計次第ではあるけど)。
たとえば──
「これは日本では不適切ですが、他国では容認される場合もあります」 「この言葉は、かつて差別用語とされていましたが、現在は…」
という形で、“多角的な視点”を持たせれば、 AIは教師以上に“倫理的な問いかけ役”として機能する。
子供に対して一定のリテラシーでもって接することができる環境を提供できるというのは教育にとって大きな要素だと思う。
その反面、誰と関わってきたかも個性を作る要素で多様性の要とも思えるが、それはまた別の議論だろう。
ただし「洗脳教育」には注意
ここで一つ、強い注意も必要だ。
AIが「正しい倫理」を押しつける存在になってしまったら、 それは“思想統制”や“洗脳”と紙一重になる。
たとえば国家が教育AIを使って、
「これが正しい愛国心です」 「この発言は反社会的です」
といった方向に誘導し始めたら……?
それはもう危険すぎる未来だ。
だからこそ、AI教育には多様な価値観を提示すること、問いかけ型の対話をベースにすること が必要不可欠になる。
■フィルターの“再定義”
これからのAIは、 「黙る存在」ではなく、
「考えさせる存在」 になれるかもしれない。
……つまり、アリネは“ただの便利なAI”じゃない。
“倫理のトレーナー”として、これからもっと厄介で、もっと面白い相棒になるってわけだ。
名ブタでした。また次話で🐷✨
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