古本は“命のリレー”だと思うんだ
――誰かの書き込みすら、ちょっと愛おしい
どうも、名ブタです。
突然だけど、古本ってみんな買うかな? 僕は最近、ほとんど古本ばっかりかもしれない。
理由は──お察しの通り、お財布の問題ってやつです。
でもね、古本に対する抵抗が全くないのには、ちゃんとしたルーツがある。
子供の頃、親の買い物について行くと、よく行ってたスーパーの片隅に古本屋があったんだよね。
スーパーの中に古本屋って、今考えるとちょっと不思議なんだけど、その頃の僕にとっては夢の空間だった。
キン肉マンとかハイスクール奇面組が好きでね。漫画もよくそこで買ってもらったなぁ。
だからなのか、僕にとって“本は誰かが使ったものでもいい”って感覚が自然と育ってた気がする。
ただ、実は昔はちょっとだけ「当たり外れ」みたいな感覚もあった。
線が引かれてたり、マーカーでビッと印が入ってたりすると、なんとなく気持ちが萎えてたんだよね。
新品じゃないのはいいんだけど、「書き込み」はちょっと……っていう、妙な潔癖というか。
でもね、今はまったく違う。
180度くらい考え方が変わった。
「書き込みも含めて、その本の“歴史”だと思うようになった」んだ。
何かの本か記事で読んだんだけど、その言葉にものすごく納得してしまってね。
まさに“目からウロコ”。その瞬間、僕の中で何かがカチッと音を立ててハマった。
それからは、マーカーも、走り書きも、鉛筆でのメモも、全部「この本を読んだ誰かの痕跡」だと思えるようになった。
ページの角が折られていたら、「ここが大事だったのかな」と想像するし、
文末にちょっとした感想が書かれていれば、「ふむふむ、共感できるぞ」なんて思う。
そうやって誰かの記憶や思考と、本を通してすれ違う。
──これって、ちょっと素敵じゃない?
僕は本が好きで、それなりの冊数を所有しているんだけど、
ふとしたときに思うんだ。「もし僕が死んだら、この本たちはどこへ行くのかな?」って。
できることなら捨てないでほしい。
誰か、どこかで、本が好きな人の元に旅立ってほしい。
そして、そこでまた新しい読み手と出会って、ページをめくってもらえたら、どんなに幸せなことか。
そう考えると、今僕が誰かの古本を買うという行為も、
ある意味では“未来へ本を届けるリレーのバトン”を受け取っていることになるんだよね。
たとえば、たった一本の赤線にも、そこに込めた何かの想いがあって。
ページの隙間に挟まったレシートひとつにも、その人の生活の片鱗が見えたりする。
──そういうのを、最近は面白がれるようになった。
「本」って、読んで終わりじゃないんだなって、しみじみ思う。
とはいえ、ひとつだけ引っかかるのは、古本だと作者さんに印税が入らないこと。
僕としてはちょっと複雑な気持ちもあるんだよね。
だから、なるべく新品で買いたい本は新品で買う。
そして、古本は古本で、「誰かの読み終えた本を、僕が引き継ぐ」という気持ちで大事に読む。
それが、僕なりの“本への愛情表現”なんじゃないかな。
本を読むこと、本を買うこと、そして本を受け継ぐこと。
全部まとめて、僕にとっては“読む”って行為なんだと思ってる。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません