キャッシュレス化による現金廃止論に反論してみる

2025年4月12日

どうも、名ブタです。

最近、「電子マネーで十分だし、現金ってもういらなくない?」って声をよく聞くようになりました。たしかに、スマホひとつで会計が終わるのはめちゃくちゃ便利だし、店員さんの作業も減るから効率が上がるのは間違いない。不正なお金の流れも可視化されて汚職とか脱税防止になるのは確かにデカい。でも、だからといって「現金を全部なくしちゃえ」ってなるのは、どうなんだろう?って思うんですよね。

現金には、ただの支払い手段に留まらない、いろんな価値や役割が詰まってるんじゃないかって名ブタは考えています。そこで今回は、キャッシュレス化による現金廃止論に対して、名ブタなりの反論というか、現金には良い部分はありますよ?という論を展開してみようと思います。


1. 現金が生む人と人とのふれあい

まずは、電子マネー化するとコンビニやスーパーではおつりの受け渡しとかが無くなり精算もスムーズで効率が良くなるのは間違いないよね。

でもね。この現金のやりとりの時に発生する会話には一定の価値があるのではないかと名ブタは思ったのです。

「細かいのありますか?」とか「1円あると思います…」みたいなやりとりって、ちょっと面倒だけど、人間っぽいあたたかさがあると思うんですよね。キャッシュレスだと、ピッとして終わり。もちろん便利なんだけど、その分、人と人との間に生まれるちょっとしたコミュニケーションのチャンスも減っちゃうんじゃないかって思うんです。

何てことないやりとりなんですが、こうしたやりとりは社会との繋がりを感じさせるもので、無くなると社会から孤立する人が増えるんじゃないないかと思う。


2. 父親の給与と家族のつながり

例えば、母親が「家の事を何もしない」と言う声が大きくなったような気がするのは、共働き世帯が増えた事が大きな要因だと思うけど、給与が銀行振り込みになってしまったことにも一因があるのではないかと考えたりするわけです。

昔の多くの家庭では、父親が一家の大黒柱として現金で給料を受け取り、給料日に家に現金を持ち帰って母親に手渡す、という光景がごく自然に存在してた。あの一連の行動は、単に金銭を移動するだけではなく、父親が一家のために働いているという実感を、家族全体に伝える大切な機会になっていたと思う。現金でのやりとりがあるからこそ、父親の稼ぐ姿が目に見えて分かり、家族の中でその努力に対する感謝の気持ちが生まれていたと思うんだよ。父親も現金を持ち帰ることで、家計に対する責任感をより強く感じることができたかもしれないね。

もちろん、父親が絶対的な家長として振る舞うのが当然とは考えないし、夫婦共働き家庭なら、男性が家の事を全くしないのはナンセンスだと名ブタも思う。ただ、ここで言いたいのは現金のやりとりが持っていた良さ。デジタルな決済方法では、その良さが実感しにくいのかなと思う。父が稼ぎ、母が家を守るという価値観が主流だった時代では、現金という形は、家族の中で夫婦の役割を明確にし、自然と感謝を生む一つの「良さ」として機能するのに大きな役割を持っていたのではないだろうか。

そういえば、お年玉を電子マネーで払うというのも賛否両論あるよね?どちらが正しいというわけではないけど、現金派の方は名ブタと同じように現金が持つ良さに着目してるのではないかな。

様々な背景を考えると、キャッシュレス化の進展は確かに便利で合理的な部分が多いものの、目に見える現金のやりとりが失われることで、かつてあった家族間の温かいつながりや、働く人への感謝の気持ちといった、無形ながら大切な要素が薄れてしまう可能性があると名ブタは思う。


3. 子供の教育と算数的な話

小さい頃、お菓子を買うときに「これ100円だし、今持ってるのは200円だから、あといくら残るんだ?」って自分で考えるのって、いい算数の勉強になってたと思うんですよね。硬貨やお札を実際に触りながら数えることで、自然と金額の感覚をつかんだり、計算力がついたりする。キャッシュレスだと、数がただ画面上で増減するだけだから、そうした機会は失われちゃうよね。もちろん、今の時代ならデジタルなやり方でお金の教育をする方法もあるかもしれない。でも、現金ならではの「触る」「数える」って体験はやっぱり貴重で、体験から学べる事は、お金や計算の範疇だけに止まらないらないんじゃないかなって思います。


4. 日本の文化と詫び寂び

日本には「詫び寂び」という文化があるよね。

物事の奥ゆかしさや、静けさ、そして「目に見えない価値」を大切にする精神。これは、日本人の美意識の根底にあるものだと思うんだよ。

例えば、神社やお寺でお賽銭を入れる行為。お金を投げ入れることで、「願いを込める」「感謝を伝える」という気持ちが生まれる。これは、ただの金銭のやり取りではなく、一種の儀式的な行為だよね。

これがキャッシュレス化したらどうなる? QRコードをスキャンして、スマホで決済。「ピッ……(無音)」

なんか味気なくないか?

お賽銭は、ただの寄付じゃなくて、その行為そのものに意味がある。硬貨の音、投げる動作、手を合わせる一連の流れがあるからこそ、心が整うという面もあると思うんだよね。

かつての硬貨に似た物をお賽銭用として販売するのだろうか?なんかちょっと違う・・・

合理性ばかりを追求して、こうした「目に見えない価値」まで切り捨ててしまっていいのか? そこは慎重に考えるべきじゃないかと思う。


5. 貯金箱が好きな名ブタ、悲しむ

ちょっと個人的な話になるけど、名ブタは昔から貯金箱が好きだ。コツコツと硬貨を入れていくあの感じ、たまっていく様子を眺めるのが、なんとも言えない楽しさがある。

実は、貯金箱って結構歴史があるんだよね。昔から「お金を貯める楽しみ」として使われてきたし、子供にとっては「お金を管理する第一歩」としても機能してきた。

これがキャッシュレス化で硬貨がなくなったら、貯金箱はどうなるんだろう? 「貯金箱アプリ」ってあんのかな?やっぱりリアルな硬貨をチャリンチャリンと入れる感覚とは違うよね。効果音付き?いやそういう話では・・・

子供の頃から「目に見える形でお金を貯める」ことができるのは、想像以上に大切な体験なんじゃないかと思うんだよね。


6. 友人同士の割り勘はどうなる?

キャッシュレスになると、友人同士で飲みに行ったり、食事をしたりするときの割り勘はどうなるんだろう?

アプリで一瞬で割り勘できるのは確かに便利ではある。細かい計算も要らないし、後日になって「ごめん、あの時の飲み代まだ払ってないや」なんてことがなくなるかもしれません。

でも名ブタと友人は、これまで適当に割り勘してきたんですよ。

その時その時で誰が多く払ったかはあまり気にしない。「あれ?細かいのねぇから俺払うから2000円だけくれよ」なんてのはしょっちゅうだし、もし多めに出してもらったら、次回はこっちが払う形で帳尻を合わせるみたいな感じ。これって、あうんの呼吸というか、人間関係の中で自然に成り立っているもので、厳密に「きっちり割り勘!」ではない。当然、累計など気にしていない。

キャッシュレス化によってアプリで正確に割り勘できるようになるのはメリットだけど、人間関係の「程よい曖昧さ」や「持ちつ持たれつ」の関係が失われてしまうのはちょっと寂しい。アプリで綺麗に割り勘できるようになった程度で壊れる友情ではないけどね。

全部きっちり正確にするのがいいわけじゃなく、「あの時ちょっと多めに払ってくれたな、ありがとう」みたいな記憶が、人との絆を深めてくれることもあるよね。


7. 災害とか有事の際には現金が強い

地震とかで停電になったら電子マネーとか使えないじゃん!

こういう議論すると絶対出てきそうな意見なんだけど、確かに有事の際には現金に優位性があると思う。

でもまぁ、仕組みで対応できそうだし。今回、名ブタが言いたいのは現金の実用性というよりは、ちょっと目に見えづらい現金の良さなので、これ以上語ることはないですな。

8. 幸福感という視点で考えてみる

そもそも、便利になればなるほど人は幸せになるのか?

合理化や効率化を突き詰めるのは良い面もあるけれど、それが本当に私たちの幸福につながるのか?

という疑問もありますよね。

「ちょっとした不便さ」が実は生活の中の刺激になったり、「やった!できた!」という達成感に繋がってたりするのも事実だと思うんです。そして「ちょっと手間がかかる」ということ自体が、思いがけない充実感や達成感につながる場合もあると思うんです。あえて遠回りを楽しむみたいな感覚も、キャッシュレス化でお金のやりとりがすごくスムーズになっちゃうと、失われる部分があるんじゃないかなーって思うんですよね。

ある種の「面倒くささ」とか「不便さ」とかって、日常のちょっとした満足感とか充実感とかに繋がってたり、そういう不便さによって他人との繋がりになったりすると思うんだよ。これがすべてスムーズに片付いてしまったら、心が動く機会が減ってしまうんじゃないかと、名ブタは考えるんですよね。



まとめ

何だかんだ言っても、名ブタは買い物で現金使う事がほとんどないような生活ではあるのですが、だからと言って現金廃止論者ってわけでもないんですよね。

キャッシュレス化には便利さや効率の面で大きなメリットがあるけど、現金が持つ非効率とか無駄の中にも良い部分てのはちゃんとあると思っているので、ただ便利だ無駄だと現金を廃止する意見にはちょっと違和感があるんですよ。

便利さは確かに魅力的ですが、だからといって現金を全面的に廃止してしまうと、今まで培われてきた文化や交流の形が薄れてしまうのではないかと思うんです。

合理的な世界が必ずしも幸せを保証してくれるわけではなく、ときには不便だからこそ人との結びつきや自分なりの楽しさを見いだせることもあると思います。名ブタとしては、現金の良さとキャッシュレスの便利さを両方楽しめるような社会こそが、多様で温かい暮らしを支えてくれるんじゃないかなと考えています。