SNSの規制はすべきではない派です。

2025年4月12日

どうも、名ブタです。

近ごろSNSの誹謗中傷やデマ拡散が社会問題になってて、一部の政治家が「やっぱり規制が必要なんじゃないか?」なんて言い出してるよね。確かに、悪意に満ちた投稿や根拠のないウワサに苦しむ人が増えてる状況は放っておけない。でも、それを理由に安易にSNSをガッチガチに締め付けようってのは、ちょっと短絡的なんじゃないかって名ブタは思うんだよ。

SNS規制を強化したら何が起きるのか

まず、SNSに規制がかかると、「これ言ったらヤバいかも」と思って発言を控える人が増えるよね。結果として、理性的なユーザーほど沈黙しがちになる。その一方で、あまり気にしない人や過激なことを平気で言っちゃう人たちの声が、相対的に大きくなってしまうっていう逆転現象が起きるんじゃないかと思うんだ。

さらに、政治家や権力を持ってる人たちが「これは不適切だから削除」「あの書き込みは都合が悪いから規制」なんてことを自由にやり始めたら、言論の幅がグッと狭まってしまうでしょ。事実かどうかより、「権力者にとって都合がいいか悪いか」で情報が振り分けられる社会になったら、もうオープンな議論なんか期待できない。そういう危険性があるからこそ、名ブタはSNS規制には慎重であるべきだと思うわけ。

歴史から学ぶ:秀吉の晩年の暴走

こういう「都合の悪い意見をシャットアウト」する行為が、どれだけ危険かは歴史を見るとよくわかる。たとえば豊臣秀吉の晩年。天下統一を果たした秀吉は若い頃、柔軟な発想と人心掌握術で大成功を収めたけど、晩年になると猜疑心(さいぎしん)が強くなって、周囲の諫言(かんげん)を聞かなくなっていったって話は有名だよね。

朝鮮出兵を無理やりやったり、後継者争いで粛清があったり、誰も「それはやめましょう」と大声で止められない空気が広がった結果、豊臣家の力は大きく弱まってしまった。

最初は優秀だったリーダーが権力を握りきった結果、反対意見を排除して誰もブレーキをかけられなくなった――コレって、企業経営でもよくある話だよね。「社長に意見したらクビになるかも……」みたいな空気があると、誰も何も言えないで、結局組織全体がドツボにはまるパターン。SNS規制が強まると、まさにこの空気が世の中全体に漂いそうで、名ブタはそれが怖い。

大手メディアの偏向報道とSNSの重要性

加えて、名ブタとしては「大手メディアの偏向報道」にも注目したいんだよね。テレビや新聞、ネットニュースなど、いわゆる主流メディアが報道する内容は必ずしも中立とは限らない。スポンサーや政治的な圧力、社内方針なんかで、ある程度バイアスがかかるのは避けられない部分もある。一方で、SNSは誰でも気軽に情報を発信できるから、主流メディアが取り上げないニュースや草の根の声を拾えるメリットがある。SNSが持つ「誰でも自由に発信できる」という特徴がめちゃくちゃ重要になってくるんだ。

もしSNSが規制されて自由に発言できなくなったら、大手メディアだけが情報の入り口になってしまう。それって、多様な意見が封じられて、社会の実態をいろんな角度から捉えにくくなるってこと。民主主義の根幹を支えるのは、いろんな意見が表に出て「本当にそうなの?」って疑問をぶつけ合える環境だと思うんだよね。

社会を健全にするのは規制よりも議論の力

もちろん、SNSの誹謗中傷やデマは深刻で、被害者が救済される仕組みは絶対に必要。だけど、それを理由にSNS全体をカッチカチに縛ってしまうと、真面目に考えている人ほどビクビクして何も言えなくなっちゃう。大事なのは、議論を闇に潜らせるんじゃなくて、みんながオープンに議論できる仕組みを整えることだと名ブタは思うんだよ。

たとえば、SNS上でデマが広がったとしても、誰かが「いや、それは間違ってる。ソースはこうだよ」って指摘してくれれば修正できる可能性があるし、誹謗中傷に対しても「その発言は事実無根じゃない?」って声が上がれば、被害が広がる前に食い止められるかもしれない。規制で一律にシャットダウンするんじゃなくて、多様な声を活かして問題を是正できる環境を作るのが、長期的に見れば健全なやり方じゃないかな。

国産SNSという選択肢と海外SNSとの共存

そう考えると、SNSが海外企業のプラットフォームだらけっていう現状も気になるところ。外国企業が運営するサービスだと、国民の情報が海外に流出したり、国内の事情をよく知らないまま勝手にコンテンツを規制したりするリスクがある。そこで名ブタは、国産SNSをもっと育てるっていう選択肢があってもいいと思うんだよ。ユーザーが使いやすい国内プラットフォームが存在すれば、情報の多様性はさらに高まる。

それとサービス終了リスクは無視できない。SNSが大手メディアの偏向に対するカウンターとして機能し始めているのに、サービス終了とか仕様変更で突然その場所が消えるなんて、めちゃくちゃもったいないと思うわけ。しかも、それが海外の事情や企業方針で決まるんだから、日本の利用者が文句を言ってもどうにもならないケースが多いわけさ。

だからこそ、国内でもSNSプラットフォームを育てるってのはアリだと思う。国産SNSがしっかり根づいていれば、少なくとも国内の社会状況や文化、ユーザーのニーズに合ったサービス運営が期待できる。海外サービスが撤退しても、そっちへ移行して議論の土壌を維持するって選択肢もあり得るわけだし。

もちろん、「国産だから絶対安全」とは限らないし、国内サービスが一元的にコントロールされる危険性も無視はできない。でも、海外と国産、両方が共存して切磋琢磨することで、ユーザーとしては選択肢が増えるし、企業や政府の暴走に対してチェックが効きやすいんじゃないかと思うんだよね。SNSの将来を考えるなら、「海外か国内か」って二極化するんじゃなくて、多様なサービスがバランスよく並び立つのが理想なんじゃないかな。

まとめ

誹謗中傷やデマが深刻な問題なのは間違いないけど、「規制すれば一発解決」ってのは、正直甘い考えだと思う。歴史が示すように、都合の悪い意見を圧力で封じれば、それこそ秀吉の晩年みたいに誰もブレーキをかけられない状況が生まれてしまう。それはけっして良いことじゃないはず。

SNSが社会に根づいた今こそ、みんなが正確な情報を見極めるリテラシーを身につけたり、デマを指摘し合えたりする環境を整えるべきなんだと思う。規制よりも議論、締め付けるんじゃなくて議論を活性化させる。海外SNSと国産SNSがうまく共存しながら、多様な声が飛び交って相互に監視・牽制が働くような社会こそ目指すべきじゃないかな。

名ブタとしては、そのほうが絶対に面白いし、いろんな人の意見が入り混じることで新しい発見が生まれる可能性だって高いと思うんだよね。だからこそ、「SNSの規制はすべきではない」って、改めて声を大にして言いたいわけさ。

社会が間違った方向へ傾きそうなときにブレーキをかけられるのは、いつでも自由に声を上げられる環境があるからこそ――名ブタは、そう信じてるよ。