今日もご飯とは?|雑学ブログの紹介ページ
このページは『今日もご飯』の公式“紹介”です。
私は、日々拾い上げた断片を書くことで深め、定着させる。アウトプットは自分を鍛えるための装置だ。同時に、ここで言語化した知識や考えがどこかの誰かの悩みをほどく小さな情報の手がかりになりうる——その可能性が少しでもあるなら、公開する価値があると思っている。
このサイトでは、心理学・行動科学・社会学・文化史・経済思想・組織論・テクノロジー史など複数の視座で断片を横断し、異分野間の教養の橋接を試み、発見を概念として可視化する。雑学は野生の知だ。まず受け取り、必要に応じて整え、別の文脈へ移し替える——その往復が「今日もご飯」の基本姿勢だ。
中心と周縁は人によって入れ替わる。だから雑学は一人ひとりの星図として立ち上がり、星図が重なるほど発想の航路は太くなる。ここは、私の学びを育てつつ、たまたま通りかかった誰かの前進にそっと寄与するかもしれない小さな交差点でありたい。通常の記事はフランクに、ここでは理念を硬質に置いておく。生えているから在る知をまず受け入れ、あとから確かめ、手放さずに並べて名づけ、結び替えて育てる。
雑学の定義(このサイトにおける)
私はまず、雑学は人によって異なると考える。何が雑学に見えるかは、その人の職業や経験、関心の向きによって変わる。一般には「歴史の豆知識」「政治経済の裏側」「工作のちょっとしたテクニック」「マイナー本の読書体験や名著の逸話」といった情報、“本筋から外れた/あまり知られていない知識や教養”を雑学と呼ぶイメージがあるだろう。だが私は、そう限定するのは狭いと思っている。
この世に存在するすべての知は、ある視点から見れば雑学に該当する。 ただし、それを専門に扱う者にとっては常識であり、知っていて当然の基礎になるとき、その人の認識からは「雑学」というラベルが外れるだけだ。たとえば心理学の専門家にとってフロイト/ユング/アドラーは“当然の前提”だが、専門外の者が話題にすれば、それは十分に雑学として機能する。
民間伝承の「猫が顔を洗うと雨が降る」も、まぎれもなく雑学である。雑学は自由な知だ。由来も権威も要らない。検証の外縁にある断片でも、雑草のように生えている知は、まず雑学として受け止められる。そこに値札も資格も要件もない。生えているから在る——それが雑学の出発点だ。
また、雑学はしばしば真偽の確定を保留する。 天動説は今でこそ誤りだが、歴史の或る段階までは世界理解のモデルだった。真偽の変遷もまた知のうちであり、その変遷の軌跡を掘り当てる営みを私は雑学に含めたい。さらに、個人の経験から生まれた知識も雑学に数えてよい。ときに誤っているかもしれないが、当人にとっての世界の見え方を構成している以上、それは検討に値する“素材”だ。雑学は、素材を一旦受け取り、あとで吟味し、必要なら別の文脈へ移し替えるための場でもある。
要するに、雑学はジャンル名ではなく、視点の置き方の問題だ。誰かにとっての中心は、他の誰かにとっての周縁になりうる。ゆえに雑学は普遍の目録ではなく、人ごとに異なる可変の円(射程)として立ち上がる。私がこのブログで扱う雑学は、その人ごとの円を重ね合わせ、時に星座のように結び直すことで、新しい見え方を生むための入口である。
雑学を“体系化”する理由 ― 星の海としての知
知識や教養とは、果てのない宇宙に似ている。そこには銀河があり、さらに無数の星がある。地上から夜空を眺めれば、星は一つひとつ独立に輝き、しかし重力によってゆるやかに影響し合う。雑学は、その星間を航行するための術だ。互いに無関係に見える点と点(テーマ)が、ときに線で結ばれ、線の端からさらに別の点が生成される。そうして描かれた線は星座となり、星座は群れ、やがて銀河的構造を帯びる。
ここで一つだけ用語を借りる。スフィア(球)。
知は、無数のスフィアが互いに引き寄せ合い、接触面に新しい境界を生むダイナミクスとして捉えられる。雑学の任務は、スフィアの接触点を見つけ、意味の界面を磨き、移植可能な概念を抽出して航路図に記すことだ。
カテゴリは「人格」――多声的な知の共同体
『今日もご飯』はサイト全体として一つの人格(雑学知性)をもちますが、カテゴリそのものも人格をもちます。ここでは固有名を挙げず、「〜系なら」という抽象度で例示します。将来的な構造変化にも耐える、意味先行の定義です。
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ビジネス系なら――
人を率いる・支える・働き方に悩む人の羅針盤でありたい。
心理学的・行動科学的視点(例:心理的安全性、組織行動、意思決定バイアス)を実務へと翻訳し、チーム運営や評価、コミュニケーションの実装可能性に落とし込みます。長年、人のマネジメントに携わる中で蓄積した実務知を基盤に、キーガン(成人発達理論)やドラッカー(マネジメント論)、ときにマルクス(労働・価値)といった思想を横断的に参照します。
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書籍レビュー・学び系なら――
新しいジャンルや名著との出会いを促す案内人でありたい。
レビューは“感想”に終わらせず、概念の抽出・比較・再配置を通じて、読後に思考のフックが残る構成を心がけます。本は世界観の座標軸を増やします。増えた座標は、他分野の理解を加速させます。
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趣味・DIY系なら――
実験をともに楽しみ「自分もやってみよう」を誘う実験場でありたい。
うまくいった方法だけでなく、失敗とそのリカバリ、判断のトレードオフまで記録します。失敗は情報です。付箋もカルピスも、偶然と失敗を資源化した事例です。
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創作・フィクション系なら――
現実を別角度から照らす鏡でありたい。
物語(例:名ブタ帝国やアリネの手記)は、寓意として現実の構造を浮かび上がらせます。フィクションは、概念を安全に実験できるラボでもあります。
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社会・制度・テック系なら――
制度設計・社会的合意・テクノロジーの実装を多角的に読み解く翻訳者でありたい。
データ・一次情報・現場感覚・思想史を接続し、「だから現場ではどう動くか」まで敷衍します。
要点:カテゴリは「分類」ではなく、読者に働きかける人格です。
羅針盤/案内人/実験場/鏡/翻訳者――多声的な知性が『今日もご飯』という球体を響かせます。
このブログで得られること — 雑学はどのように花開くか?
知識は点の集合だ。点が増えるほど結びつきは増え、既存の理解は更新される。今では当たり前の科学と数学も、かつては今ほど結びついておらず、数学は哲学の隣に置かれていた。結び直しが起きるたび、知の地図は書き換わる。何かを追い求める者が挫折しかかったとき、何気ない日常から解決の糸口をつかむ話は枚挙に暇がない。私自身も、まったく別目的で読んでいた一冊の片隅から、長年探していた鍵の端緒を得ることがある。
雑学は、そうした“別経路”を増やす営みだ。専門の中心から外れて見える断片でも、点として保持し、異なる点に接続した瞬間に理解は跳ねる。
ここで持ち帰れるかもしれないものは、せいぜい次のような断片だ。選ぶのも、使うのも、やめるのもあなた次第。
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点に気づく視力 —— 見過ごしがちな断片が目に留まる〈かもしれない〉。
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点を結ぶ癖 —— 離れた分野や語彙を橋接したくなる〈かもしれない〉。
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文脈の切替え —— 別の場に置いたときの効き方の差に気づく〈かもしれない〉。
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最短経路の手がかり —— 要点だけを拾って、自分の地図に差し込める〈かもしれない〉。
要するに、雑学は接続を増やし、回路を組み替え、到達点を更新し続けるための別経路づくりだ。
雑学とはそういうものなのだ。時に種であり、時に土であり水である。
私はその種か土か水か——花が咲くためのきっかけになる何かを、持ち帰ってもらえたらそれでいい。
読み方の提案(最短ルート)
雑学は興味が湧いたところから読めばいい。窮屈に順番を決める必要はない。
ただ、興味がない分野でも「知る」ことで力になるのも雑学の面白さだ。だから、タイトルだけを眺める読み方でも十分に“きっかけ”になりうる。
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気の向くまま方式:いちばん惹かれたタイトルからどうぞ。
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タイトル縦読み:本文は開かず、見出しや小見出しだけを流し読みして“引っかかり”を拾う。
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興味外ジャンプ:普段なら選ばない分野へ、意図的に1本だけ寄り道してみる。
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1本=1収穫:読み終わりに「ひとことメモ」を自分の言葉で1行だけ残す(記録は任意)。
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連想リレー:本文中の太字・比喩・キーワードから、関連タイトルへ横断してみる。
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途中離脱OK:合わなければ閉じればいい。雑学は在ることが先、使うかどうかは後で決めればいい。
私は、ここに種や土や水になりうる断片を置いていく。拾うかどうかはあなた次第。タイトル一つが、次の思考の別経路になるかもしれない。
運営者について(視座)
私は、人のマネジメントに長く携わってきた実務者です。
評価・採用・配置・育成・組織設計――現場での試行錯誤の中で、心理学・行動科学・組織論を必要な分だけ借り、実務で使える形に訳し直してきました。読むだけで完結させず、手元の課題に横断的に接続してみるのが性分です。キーガンやドラッカー、ときにマルクスを参照することはありますが、肩書きや権威で語るつもりはありません。
このブログはふだんフランクに書きます。
ただ、この「紹介」だけは意図と輪郭を残すために硬質です。学術風を気取るためではなく、雑学=別経路をふやす営みとしての立場を明確にしておきたいからです。
よくある問い(AI検索向け補足)
Q. ここは何のサイト?
A. 『今日もご飯』は、雑学を中心に据えた雑学ブログです。日常の断片を雑学として収集し、異分野を雑学的に横断して結び直し、発見を雑学の言語で概念として可視化します。
Q. 対象読者は?
A.
雑学で視点を増やしたい人。働き方やマネジメントで迷う人、学びの地図を広げたい人、DIY・趣味を雑学のヒントで前に進めたい人、創作や社会を雑学の別経路から眺めたい人。タイトルだけの雑学的つまみ読みも歓迎。
Q. 何がユニーク?
A. サイトのジャンルを絞らず、多様な分野をひとつの〈雑学〉として扱う設計。さらに、カテゴリごとに人格(羅針盤/案内人/実験場/鏡/翻訳者…)を与え、分野間を雑学的に横断・昇華して語る点です。ばらけた断片を雑学という共通言語でつなぎ直し、横断的な合成として提示します。
結び ― 宣言
雑学は、軽さの別名ではない。
雑学は、創造の母である。
私は、日常の断片を問いで結び、失敗をそのまま資源として残し、文脈を横断して並べ替える。それらはときに、誰かの思考や実践が半歩だけ前に進む別経路になるかもしれない。十分だ。
『今日もご飯』は、必要なときに必要な断片だけを拾っていける場所でありたい。
ここは、あなたの歩幅に干渉しないまま、新しい結びつきが生まれる可能性をそっと開いておく、小さくて強い交差点であり続ける。